山崎藩
山崎藩 | |
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别称 | 宍粟藩 |
日语汉字 | 山崎藩 |
平假名 | やまざきはん |
罗马拼音 | Yamazaki-han |
所在地 | 播磨国宍粟郡山崎 |
藩厅 | 山崎阵屋 |
伺候席 | 帝鉴间(本多家) |
山崎藩(日语:山崎藩/やまざきはん Yamazaki-han */?)又称宍粟藩(日语:宍粟藩/しそうはん Shisō-han */?)是日本播磨国宍粟郡山崎的藩[注 1],池田家时期是备前冈山藩的支藩[2],庆长20年6月28日(1615年7月23日)创藩,延宝6年12月27日(1679年2月8日)第一次废藩,延宝7年6月26日(1679年8月2日)再次创藩,明治4年7月14日(1871年8月29日)再次废藩[3][4]。藩厅是山崎阵屋,藩校是创办于天保年间(1831年至1844年)的学问所,明治2年(1869年)5月时改称为思齐馆[3][5]。
人口方面,宽文年间(1661年至1673年)时是4,238户26,531人,宝历10年(1760年)时是2,417户9,254人,庆应4年(1868年)时是2,597户10,336人[3],《藩制一览》记载是2,421户10,232人[6]。武家屋敷方面,本多家时期江户藩邸上屋敷位于浅草鸟越、滨町和虎门外,下屋敷位于本所、本所中之乡和本所林町[7][8][注 2],藏屋敷则位于堂岛新地四丁目[3][注 3]。
历史
[编辑]庆长20年6月28日(1615年7月23日),池田辉澄获其兄备前冈山藩藩主池田忠雄分知播磨国宍粟郡38,000石而创藩。宽永8年(1631年)8月,辉澄获加增播磨国佐用郡。宽永17年7月26日(1640年9月11日),辉澄由于御家骚动而被改易,不但交由因幡鸟取藩藩主池田光仲看管,并且蛰居于因幡鹿野藩[3][4]。
宽永17年9月11日(1640年10月25日),松平康映虽然从和泉岸和田藩以60,000石入主山崎,不过由于他分知佐用郡平福5,000石予其侄子松平康朗,长谷3,000石予其弟松平康命以及佐用2,000石予另一弟弟松平康纪[注 4],因此实际上是50,000石。庆安2年8月12日(1649年9月18日),康映转封至石见滨田藩。同年10月5日(11月9日),池田恒元从备前儿岛藩以30,000石入主山崎,根据《宽文印知》记载,他在宍粟郡的领地达107村。宽文11年10月30日(1671年12月1日),恒元之子池田政周继位。延宝5年3月21日(1677年4月22日),池田纲政次子作为政周的养子而继位,即池田恒行[3][13]。
延宝6年12月27日(1679年2月8日),恒行死去,由于没有嗣子,因此被改易,山崎藩的领地也变成幕府领。翌年6月26日(1679年8月2日),本多忠英从大和郡山藩以10,000石入主山崎。宝永6年(1709年),忠英长子本多忠良作为本多忠孝的养子继任为越后村上藩的藩主。享保3年6月24日(1718年7月21日),忠英死去,由其次子本多忠方继位。享保16年5月16日(1731年6月20日),忠方死去,由其弟本多忠辰继位。宽延3年12月24日(1751年1月21日),忠辰死去,由其嫡子本多忠尧继位[3][14]。
宝历11年4月27日(1761年5月31日),越前丸冈藩藩主有马孝纯次子作为忠尧养子而继位,即本多忠可。宽政7年正月22日(1795年3月12日),忠可之子本多忠居继位。文化9年10月18日(1812年11月21日),忠居之子本多忠敬继位。天保5年10月27日(1834年11月27日),忠敬隐居,由其弟本多忠邻继位。元治元年10月28日(1864年11月27日),山崎藩派兵参与第一次长州征讨[3][15]。
鸟羽伏见之战爆发后,山崎藩虽然曾经在各村动员以及筹措军费,不过最终没有参战,其后通过冈山藩向新政府军表示恭顺。庆应4年正月20日(1868年2月13日),忠邻上洛,其后多次以年老和患病为由,请求让其返回山崎,不过不但未获准,而且山崎藩还奉命驻守于知恩院。最终在同年2月29日(3月22日),忠邻才获准返回山崎。明治2年正月30日(1869年3月12日),他让位予其子本多忠明。明治4年7月14日(1871年8月29日),废藩置县[3][16][4]。
历任藩主
[编辑]家名 | 家格 | 名称 | 石高 | 领地 |
---|---|---|---|---|
池田家 | 外样 阵屋 |
池田辉澄 | 38,000石 ↓ [注 5] |
播磨国宍粟郡 ↓ 播磨国宍粟郡和佐用郡
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松井松平家 | 谱代 阵屋 |
松平康映 | 50,000石 | 播磨国宍粟郡和佐用郡 |
池田家 | 外样 阵屋 |
池田恒元 | 30,000石 | 播磨国宍粟郡 |
池田政周 | ||||
池田恒行 | ||||
本多家 | 谱代 阵屋 |
本多忠英 | 10,000石 | |
本多忠方 | ||||
本多忠辰 | ||||
本多忠尧 | ||||
本多忠可 | ||||
本多忠居 | ||||
本多忠敬 | ||||
本多忠邻 | ||||
本多忠明 |
领地
[编辑]令制国 | 郡 | 领地 |
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播磨国 | 宍粟郡 | 山崎町村门前共、奥小屋村、高下村皮田市场共、青木村、安志町、狭户村、安志谷之内下皮田村、同三坂村、同盐野村、同 |
令制国 | 郡 | 领地 |
---|---|---|
播磨国 | 宍粟郡 | 上牧谷村、下牧谷村、片山村、下町村、横须村、生谷村、三津村、神谷村、中村、高所村、今宿村、庄能村、上寺村、山崎村、中广濑村、下广濑村、船本村、野村、千本屋村、中井村、加生村、高下村、市场村、春安村、段村、金屋村、鹤木村、上比地村、中比地村、下比地村、御名村、宇原村、川户村、岸田村、矢原村 |
注解
[编辑]参考资料
[编辑]- ^ 1.0 1.1 1.2 竹内理三、北原进、杉山博、竹内诚、所理喜夫、西垣晴次、热田公、石田善人、落合重信、田中真吾、户田芳实、前嶋雅光、八木哲浩 (编). 山崎藩・山崎〈宍粟市〉・平福・口長谷・奥長谷・佐用. 角川日本地名大辞典 兵庫県. 角川日本地名大辞典 28 日本文学Web図書館. 角川书店. 1988-10-08. ISBN 4-040-01280-1 (日语).
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- ^ 3.00 3.01 3.02 3.03 3.04 3.05 3.06 3.07 3.08 3.09 3.10 宇野正碤、大谷司郎. 山崎藩. 木村础、藤野保、村上直 (编). 藩史大事典 近畿編 5 POD版. 雄山阁. 2002-04-15: 557–571. ISBN 4-639-10039-6 (日语).
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外部链接
[编辑]- 山崎藩. kotobank (日语).