三草藩
三草藩 | |
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别称 | 高柳藩 首城藩 黑土藩 |
日语汉字 | 三草藩 |
平假名 | みくさはん |
罗马拼音 | Mikusa-han |
大名家 | 丹羽家 |
伺候席 | 雁间,元文4年(1739年) 帝鉴间,延享2年(1745年) |
石高 | 10,000石 |
藩校 | 显道馆 |
人口 | 8,961人,明治2年(1869年) |
高柳藩(日语:高柳藩/たかやなぎはん Takayanagi-han */?)又称首城藩(日语:首城藩/くびきはん Kubiki-han */?)是日本越后国颈城郡高柳的藩[注 1],元禄15年7月18日(1702年8月11日)创藩[2],元文4年8月14日或15日(1739年9月16日和17日)转封至美作国胜南郡黑土而创立黑土藩(日语:黒土藩/くろつちはん Kurotsuchi-han */?)[注 2][3],宽保2年12月21日(1743年1月16日)再转封至播磨国加东郡三草而创立三草藩(日语:三草藩/みくさはん Mikusa-han */?)[注 3],明治4年7月14日(1871年8月29日)废藩置县[5]。
石高是10,000石,高柳藩和三草藩时期的藩厅分别是高柳阵屋和三草阵屋,藩校创立于文政年间(1818年至1830年),原本位于距离外樱田大手外12町(约1.31公里)的江户藩邸内,庆应4年7月26日(1868年9月12日)转移至三草阵屋内,并且改称为显道馆。人口方面,明治2年(1869年)时是1,976户8.961人[2][5]。
武家屋敷方面,上屋敷位于本所四目和山下门内,中屋敷位于本所横川向和芝将监桥、下屋敷位于芝将监桥、千駄谷和深川,抱屋敷则位于牛込马场下横町和麻布本村町[6][注 4]。
历史
[编辑]元禄15年7月18日(1702年8月11日),美浓岩村藩藩主丹羽氏音由于未能妥善处理在岩村城城下爆发的骚动,因而被减封一半,以10,000石入主越后国颈城郡高柳,根据收录于《岩泽源藏文书》内宝永3年(1706年)时的《越后国高田、出云崎、泽海、与板领高译觉帐》记载,藩领涵盖大崎乡约3,366石、上板仓乡约1,005石、下板仓和武士乡约1,449石、里五十公乡约1,987石、山五十公乡约1,351石、保仓谷约565石和下美守乡约273石[注 5]。氏音之父丹羽氏春也在里五十公乡领有1,000石[2]。
元禄15年12月24日(1703年2月9日),氏音虽然获免去闭门处分,不过仍然未获准谒见,最终在翌年4月25日(1703年6月9日)才获赦免。宝永2年(1705年)5月,丹羽氏右长子作为氏音的养子而继位,即丹羽薰氏。元文4年8月14日或15日(1739年9月16日和17日),氏薰获任命为大坂定番,其领地转移至美作国胜南郡12村、吉野郡1村以及河内国,并且在胜南郡黑土村字釜屋构之段设立阵屋,原领地则由江户幕府收回,变为越后高田藩藩主松平定辉的预地,高柳阵屋也被废除[2][10][3]。
宽保2年12月21日(1743年1月16日),薰氏在美作国的领地被转移至播磨国加东郡、加西郡和多可郡内,河内国的领地在延享3年4月18日(1746年6月6日)也转移至播磨国加东郡、加西郡、多可郡和美囊郡内,同年在上三草村填埋三草川的河滩,并且于此设立阵屋,为无须参勤交代的定府大名。明和8年9月11日(1771年10月18日),薰氏三子巨势利永的次子作为丹羽氏荣的养子而继位,即丹羽氏福[5][11]。文政3年10月30日(1820年12月5日),多可郡高田井村的藩领转移至黑田村和西林寺[注 6]。安政元年(1855年),三草藩奉命派兵至相国寺戒备。文久3年10月27日(1863年12月7日),三草藩在生野之变后奉命追捕残党[5]。
大政奉还后,藩主丹羽氏中原本打算佐幕,不过藩士则倾向恭顺新政府军。庆应4年正月21日(1868年2月14日),三草阵屋的家臣联署向冈山藩提交血判证明,指如果藩主违抗朝命的话会与其敌对。同年正月27日(2月20日),家臣虽然打算向新政府献上米100俵和炭250俵,不过被拒。同年3月22日(4月14日),氏中上洛,藩兵则在前后日子于京都戒备。同年4月10日(5月2日)之后,三草藩与其他藩在圣护院村的河东操练场进行军事训练[注 7]。4月11日(5月3日),氏中向先锋总督府提交勤王证明以便恭顺。戊辰战争后,三草藩奉命在6月15日(8月3日)驻守于山中关门。明治4年7月14日(1871年8月29日),废藩置县[5][13]。
历任藩主
[编辑]家名 | 家格 | 名称 | 石高 | 领地 | |
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高柳藩 | |||||
丹羽家 | 谱代 阵屋 |
丹羽氏音 | 10,000石 | 越后国颈城郡 | |
丹羽薰氏 | |||||
黑土藩 | |||||
丹羽家 | 谱代 阵屋 |
丹羽薰氏 | 10,000石 | 美作国胜南郡和吉野郡 河内国 | |
三草藩 | |||||
丹羽家 | 谱代 阵屋 |
丹羽薰氏 | 10,000石 | 河内国 播磨国加东郡、加西郡和多可郡 ↓ 播磨国加东郡、加西郡、多可郡和美囊郡
| |
丹羽氏荣 | 播磨国加东郡、加西郡、多可郡和美囊郡 | ||||
丹羽氏福 | |||||
丹羽氏昭 | |||||
丹羽氏贤 | |||||
丹羽氏中 |
领地
[编辑]令制国 | 郡 | 领地 |
---|---|---|
越后国 | 颈城郡 | 大崎乡、上板仓乡、下板仓和武士乡、里五十公乡、山五十公乡、保仓谷、下美守乡 |
令制国 | 郡 | 领地 |
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播磨国 | 美囊郡 | 北畑村、奥谷村、冲村 |
加东郡 | 山国村、下小田村、下三草村、上三草村、山口村、上久米村、下久米村、贞守村 | |
多可郡 | 中野间村、坂本村、谷村、和田村、野村、西林寺、船町村、黑田村、喜多村、福地村、门柳村 | |
加西郡 | 田井村、马渡谷村、国正村、奥山寺村、山川村、水尾村、落方村、合山村、明乐寺村、中三原村、上三原村 |
注解
[编辑]参考资料
[编辑]- ^ 1.0 1.1 竹内理三、北原进、杉山博、竹内诚、所理喜夫、西垣晴次、小村弌、田中圭一、中村辛一、山崎久雄、阿部洋辅、井上庆隆、荻野正博、金子达、木村宗文、久保田好郎、新泽佳大、田村裕 (编). 高柳〈妙高市〉・高柳藩・大崎〈妙高市〉・板倉・物部郷・五十公郷・浦川原村・大島〈上越市〉・吉川〈上越市〉. 角川日本地名大辞典 新潟県. 角川日本地名大辞典 15 日本文学Web図書館. 角川书店. 1989-10-08. ISBN 4-040-01150-3 (日语).
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- ^ 3.0 3.1 3.2 3.3 竹内理三、北原进、杉山博、竹内诚、所理喜夫、西垣晴次、谷口澄夫、石田宽 (编). 黒土・黒土藩. 角川日本地名大辞典 岡山県. 角川日本地名大辞典 33 日本文学Web図書館. 角川书店. 1989-07-08. ISBN 4-040-01330-1 (日语).
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- 久保田好郎、铃木荣太郎、关谷哲郎、秦繁治、平野团三. 保倉保. 東頸城郡.
- 平野团三、渡边秀雄. 西頸城郡. 西頸城郡.
- 杉野诚治、平野团三. 高柳村. 新井市.
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外部链接
[编辑]- 三草藩. kotobank (日语).