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池禅尼

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池禅尼(いけのぜんに,1104年? - 1164年?)是平安时代末期的女性。为平忠盛正室,平清盛的继母[1]。后来成为重仁亲王崇德天皇的皇子)的乳母。她出身藤原北家九条流日语九条流。为中纳言藤原隆家后裔。父亲为藤原宗兼日语藤原宗兼、母亲为藤原有信日语藤原有信之女,名为宗子[2]

参考文献

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  1. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原庆二、藤井松一、藤原彰. 『コンサイス日本人名辞典 第5版』. 日本: 株式会社三省堂. 2009: 88. 
  2. ^ [注釈 1]『東寺百合文書』の「安嘉門院庁資忠注進抄」[2]に藤原宗子の名があり、その割注に「宗兼女 忠盛室 頼盛母」と記されている。.