跳转到内容

众议院议员总选举

维基百科,自由的百科全书

众议院议员总选举(日语:衆議院議員総選挙しゅうぎいんぎいんそうせんきょ shūgiin giin sōsenkyo */?)是日本选举的一部分,为改选众议院所有议席的选举,因而以“总选举”称之。[1]

现行宪法下的选举

[编辑]

选举权

[编辑]

选举制度

[编辑]

日本自1996年起以单一选区两票制并立制)施行选举,一票为区域代表、一票为比例代表。另有双重提名制,指一候选人同时参选区域代表及比例代表,若候选人于区域落败,则可视其惜败率决定是否在比例代表名单“复活”当选。[2]

小选举区

[编辑]

目前共有289个地方选区,2014年裁撤5个选区,2017年再裁撤6个选区。

比例代表区

[编辑]

目前共有176个议席,共分成11个选区。各政党以顿特法分配席次,

经费

[编辑]

每次选举,都会花费约700亿日圆[3]

历届选举一览表

[编辑]
届数 内阁 投票日 星期 投票率 议席 任期满了或解散/日 最大党 议席数 百分比 备注
第1回 山县1 1890年(明治23年)7月1日 93.91% 300 立宪自由党英语自由黨 (日本 1890-1898) 130 43.33% 第一次众议院总选举
第2回 松方1 1892年(明治25年)2月15日 91.59% 解散/1891年(明治24年)12月25日 94 31.33%
第3回 伊藤2 1894年(明治27年)3月1日 88.76% 解散/1893年(明治26年)12月30日 120 40.00%
第4回 伊藤2 1894年(明治27年)9月1日 84.84% 解散/1894年(明治27年)6月2日 107 35.66%
第5回 伊藤3 1898年(明治31年)3月15日 87.50% 解散/1897年(明治30年)12月25日 105 35.00% 进步党获得104席,成为第二大党。
第6回 大隈1 1898年(明治31年)8月10日 79.91% 解散/1898年(明治31年)6月10日 宪政本党日语憲政本党 124 41.33%
第7回 桂1 1902年(明治35年)8月10日 88.39% 376 任期満了/1902年(明治35年)8月10日 立宪政友会 191 50.79% 首次实行不记名投票
第8回 1903年(明治36年)3月1日 86.17% 解散/1902年(明治35年)12月28日 175 46.54%
第9回 1904年(明治37年)3月1日 86.06% 379 解散/1903年(明治36年)12月11日 133 35.09%
第10回 西园寺1 1908年(明治41年)5月15日 85.29% 任期满了/1908年(明治41年)3月1日| 187 49.34%
第11回 西园寺2 1912年(明治45年)5月15日 89.58% 381 任期满了/1912年(明治45年)5月15日 209 54.85%
第12回 大隈2 1915年(大正4年)3月25日 92.13% 解散/1914年(大正3年)12月25日 立宪同志会 153 40.15%
第13回 寺内 1917年(大正6年)4月20日 91.92% 解散/1917年(大正6年)1月25日 立宪政友会 165 43.30%
第14回 1920年(大正9年)5月10日 86.73% 464 解散/1920年(大正9年)2月26日 278 59.91%
第15回 清浦 1924年(大正13年)5月10日 91.18% 解散/1924年(大正13年)1月31日 宪政会 151 32.54%
第16回 田中义一 1928年(昭和3年)2月20日 80.36% 466 解散/1928年(昭和3年)1月21日 立宪政友会 218 46.78% 举行初次普选
第17回 滨口 1930年(昭和5年)2月20日 83.34% 解散/1930年(昭和5年)1月21日 立宪民政党 273 58.58%
第18回 犬养 1932年(昭和7年)2月20日 81.68% 解散/1932年(昭和7年)1月21日 立宪政友会 301 64.59%
第19回 冈田 1936年(昭和11年)2月20日 78.65% 解散/1936年(昭和11年)1月21日 立宪民政党 205 43.99%
第20回 1937年(昭和12年)4月30日 73.31% 解散/1937年(昭和12年)3月31日 179 38.41% 通称“霸王餐解散日语食い逃げ解散”。立宪政友会获得175席,成为第二大党。
第21回 东条 1942年(昭和17年)4月30日 83.16% 任期満了/1942年(昭和17年)4月30日 大政翼赞会 381 81.75% 通称“翼赞选举日语翼賛選挙”。众议院延长任期1年。
第22回 币原 1946年(昭和21年)4月10日 72.08% 解散/1945年(昭和20年)12月18日 日本自由党 141 30.25% 通称“终战解散”。首次男女均获得选举权的自由选举。
第23回 吉田1 1947年(昭和22年)4月25日 67.95% 解散/1947年(昭和22年)3月31日 日本社会党 143 30.68% 通称“新宪法解散”。大日本帝国宪法生效期间的最后一次众议院总选举。
第24回 吉田2 1949年(昭和24年)1月23日 74.04% 解散/1948年(昭和23年)12月23日 民主自由党 264 56.65% 通称“合谋解散日语馴れ合い解散”。日本国宪法生效后的第一次众议院总选举。
第25回 吉田3 1952年(昭和27年)10月1日 76.43% 解散/1952年(昭和27年)8月28日 自由党 240 51.50% 通称“冷不防解散抜日语き打ち解散”。
第26回 吉田4 1953年(昭和28年)4月19日 74.22% 解散/1953年(昭和28年)3月14日 自由党吉田派 199 42.70% 通称“混蛋解散”。
第27回 鸠山一郎1 1955年(昭和30年)2月27日 75.84% 467 解散/1955年(昭和30年)1月24日 日本民主党 185 39.61% 通称“天之声解散日语天の声解散”。
第28回 岸1 1958年(昭和33年)5月22日 76.99% 解散/1958年(昭和33年)4月25日 自由民主党 287 61.45% 通称“协议解散”。55年体制成立后的第一次总选举
第29回 池田1 1960年(昭和35年)11月20日 73.51% 解散/1960年(昭和35年)10月24日 296 63.38% 通称“安保解散”。
第30回 池田2 1963年(昭和38年)11月21日 71.14% 解散/1963年(昭和38年)10月23日 283 60.59% 通称“所得倍增解散”。
第31回 佐藤1 1967年(昭和42年)1月29日 73.99% 486 解散/1966年(昭和41年)12月27日 277 56.99% 通称“黑雾解散”。
第32回 佐藤2 1969年(昭和44年)12月27日 68.51% 解散/1969年(昭和44年)12月2日 288 59.25% 通称“冲绳解散”。
第33回 田中角荣1 1972年(昭和47年)12月10日 71.76% 491 解散/1972年(昭和47年)11月13日 271 55.19% 通称“日中解散”。
第34回 三木 1976年(昭和51年)12月5日 73.45% 511 任期满了/1976年(昭和51年)12月9日 249 48.72% 通称“洛克希德选举”。日本国宪法施行后唯一一次众议院议员任期届满才解散
第35回 大平1 1979年(昭和54年)10月7日 68.01% 解散/1979年(昭和54年)9月7日 248 48.53% 通称“增税解散”。
第36回 大平2 1980年(昭和55年)6月22日 74.57% 解散/1980年(昭和55年)5月19日 284 55.57% 通称“碰巧解散日语ハプニング解散”。众参两院同日选举日语衆参同日選挙,选举前首相大平正芳突然去世
第37回 中曽根1 1983年(昭和58年)12月18日 67.94% 解散/1983年(昭和58年)11月28日 250 48.92% 通称“田中判决解散日语田中判決解散
第38回 中曽根2改2 1986年(昭和61年)7月6日 71.40% 512 解散/1986年(昭和61年)6月2日 300 58.59% 通称“装死解散日语死んだふり解散”。众参两院同日选举日语衆参同日選挙
第39回 海部1 1990年(平成2年)2月18日] 73.31% 解散/1990年(平成2年)1月24日 275 53.71% 通称“消费税解散”。
第40回 宫泽改 1993年(平成5年)7月18日 67.26% 511 解散/1993年(平成5年)6月18日 223 43.63% 通称“撒谎解散日语嘘つき解散”。55年体制崩壊、细川内阁成立
第41回 桥本1 1996年(平成8年)10月20日 59.65% 500 解散/1996年(平成8年)9月27日 239 47.80% 通称“小选区解散”。开始使用小选区制及11个比例代表制选区的并立制。
第42回 森1 2000年(平成12年)6月25日 62.49% 480 解散/2000年(平成12年)6月2日 233 48.54% 通称“神国解散”。比例区削减
第43回 小泉1改2 2003年(平成15年)11月9日 59.86% 解散/2003年(平成15年)10月10日 237 49.37% 通称“政权公约解散”。
第44回 小泉2改 2005年(平成17年)9月11日 67.51% 解散/2005年(平成17年)8月8日 296 61.66% 通称“邮政解散”。
第45回 麻生 2009年(平成21年)8月30日 69.28% 解散/2009年(平成21年)7月21日 民主党 308 64.16% 通称“政权选择解散”。民主党成为第一大党。原第一大党自民党成为第二大党。
第46回 野田改3 2012年(平成24年)12月16日 59.32% 解散/2012年(平成24年)11月16日 自由民主党 294 61.25% 通称“近期解散日语近いうち解散”。自民党成为第一大党,第2次安倍内阁成立。原第一大党民主党成为第二大党。
第47回 安倍2改 2014年(平成26年)12月14日 52.66% 475 解散/2014年(平成26年)11月21日 291 61.26% 通称“安倍经济学解散日语アベノミクス解散”,小选区第一次削减
第48回 安倍3改3 2017年(平成29年)10月22日 53.68% 465 解散/2017年(平成29年)9月28日 284 61.08% 通称“国难突破解散”,日本将选举权下修至18歳后的首次众议院总选举,小选区第二次削减
第49回 岸田1 2021年(令和3年)10月31日 55.93% 解散/2021年(令和3年)10月14日 261 56.13% 通称“未来选择解散”,令和时代第一次众议院选举
第50回 石破1 2024年(令和6年)10月27日 解散/2024年(令和6年)10月9日 191 41.08% 2009年来执政党首次未获得半数席位

相关条目

[编辑]

参考资料

[编辑]
  1. ^ OECD诸国の国会议员1人当たりの人口、人口当たりの议员数(2011年) 2017年10月14日阅覧
  2. ^ 王业立; 苏子乔; 石鹏翔. 台、日、韓憲政體制與選舉制度. 五南. 2018: 22–24、99–108. ISBN 9789571197678. 
  3. ^ 総选挙事务700亿円 贵重な一票忘れずに - 东京新闻・2014年11月22日付け《2017年10月14日阅覧;现在はインターネットアーカイブ内に残存》

外部链接

[编辑]