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垂井站

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垂井站
车站南口(2022年11月)
车站南口(2022年11月)
日语名称
垂井 – たるい – Tarui
车站概览
位置 日本岐阜县不破郡垂井町1682番4号
地理坐标35°22′25″N 136°31′34″E / 35.37361°N 136.52611°E / 35.37361; 136.52611
车站构造
站体类型地面车站跨站式站房
站台2面3线
其他信息
电报码タル
历史
启用日期1884年(明治17年)5月25日
上车人次
统计年度
平均每日2,600人次(不含下车乘客)
2013年
邻近车站
上一站 JR东海 下一站
大垣
CA77
8.1km
东海道本线
CA  78 
距离东京418.1km
关原
CA79
5.7km
位置
地图
备注
业务委托站
设有绿窗口
* 此段设有南荒尾信号场(距离此站5.0公里)。

垂井站(日语:垂井駅垂井驛たるいえきたるゐえき Tarui eki */?)是一由东海旅客铁道(JR东海)所经营的铁路车站,位于日本岐阜县不破郡垂井町,是东海道本线沿线的车站之一,也是所在地垂井町的主车站,设有绿窗口

特殊路线配置

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途经垂井站的铁轨乍看之下似乎是很一般的上下行分离复线设计,但实际上并不是。东海道本线虽然是采全线复线配置,但途经垂井站的却只有上行的本线,下行本线在1944年时进行路线变更,改经过位于本站北方约3公里处的新垂井站日语新垂井駅(已于1986年时废站),以解决二战期间由于大垣关原两站之间路线纵坡度过大,下行的蒸气机车因为牵引力不足而必须在大垣停车加挂辅机且拖行车厢数有限的困扰。然而,考量到行经垂井的普通列车之需要,在战后的1946年时,在与上行本线平行的原下行本线路基上重新修筑了一条上下行列车共用的简易支线,命名为“垂井线”,因此今日实际通过垂井站的是东海道本线的上行本线与支线的垂井线,下行本线反而迂回绕过本站直接连结前后站的大垣与关原两站。

车站结构

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构内北侧为侧式月台1面1线,南侧为岛式月台1面2线,合计2面3线的地面车站跨站式站房

月台配置

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月台 路线 方向 目的地 备注
1 CA 东海道本线 上行 大垣名古屋方向[1]  
2 关原站始发、待避列车
3 CA东海道本线
(途经垂井线)
下行 米原京都方向[1]  
上行 大垣、名古屋方向 只限关原站始发

配线图

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南荒尾信号场 - 关原站 构内配线略图

大垣、
名古屋方向
南荒尾信号场 - 关原站 构内配线略图
米原方向
↓ 美浓赤坂站
图例
参考文献:[2]



使用情况

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“垂井町史”、“岐阜县统计书”、“垂井町势要览”,各年度1日平均上车人次如下表。大垣站 - 米原站的中途站当中使用人数最多。

各年度1日平均上车人次(1884年 - 1911年)

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年度 1日平均
上车人次
1884年(明治17年) 24
1885年(明治18年) 14
1886年(明治19年) 11
1887年(明治20年) 25
1888年(明治21年) 47
1889年(明治22年) 54
1890年(明治23年) 62
1891年(明治24年) 65
1902年(明治35年) 151
1903年(明治36年) 140
1904年(明治37年) 107
1905年(明治38年) 121
1906年(明治39年) 129
1907年(明治40年) 154
1908年(明治41年) 161
1909年(明治42年) 167
1910年(明治43年) 175
1911年(明治44年) 207

各年度1日平均上车人次(1912年 - 1925年)

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年度 1日平均
上车人次
1912年(大正元年) 249
1913年(大正2年) 265
1914年(大正3年) 298
1915年(大正4年) 260
1916年(大正5年) 263
1917年(大正6年) 294
1918年(大正7年) 366
1919年(大正8年) 394
1920年(大正9年) 434
1921年(大正10年) 455
1922年(大正11年) 453
1923年(大正12年) 525
1924年(大正13年) 538
1925年(大正14年) 614

各年度1日平均上车人次(1926年 - 1988年)

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年度 1日平均
上车人次
1926年(昭和元年) 610
1927年(昭和2年) 634
1928年(昭和3年) 658
1929年(昭和4年) 659
1930年(昭和5年) 645
1931年(昭和6年) 589
1932年(昭和7年) 574
1933年(昭和8年) 583
1934年(昭和9年) 636
1935年(昭和10年) 689
1936年(昭和11年) 733
1937年(昭和12年) 902
1938年(昭和13年) 918
1939年(昭和14年) 1,045
1940年(昭和15年) 1,148
1941年(昭和16年) 1,406
1942年(昭和17年) 1,462
1943年(昭和18年) 1,951
1944年(昭和19年) 1,662
1945年(昭和20年) 1,496
1946年(昭和21年) 1,280
1947年(昭和22年) 1,892
1955年(昭和30年) 2,246
1956年(昭和31年) 2,460
1957年(昭和32年) 2,652
1960年(昭和35年) 3,182
1961年(昭和36年) 3,222
1962年(昭和37年) 3,442
1965年(昭和40年) 4,099
1970年(昭和45年) 3,402
1975年(昭和50年) 3,348
1980年(昭和55年) 3,224
1984年(昭和59年) 2,927
1988年(昭和63年) 2,862

各年度1日平均上车人次(1989年 - 2018年)

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年度 1日平均
上车人次
1989年(平成元年) 2,880
1990年(平成2年) 2,951
1991年(平成3年) 3,125
1998年(平成10年) 2,949
1999年(平成11年) 2,930
2000年(平成12年) 2,889
2001年(平成13年) 2,784
2002年(平成14年) 2,715
2003年(平成15年) 2,704
2004年(平成16年) 2,710
2005年(平成17年) 2,677
2006年(平成18年) 2,800
2007年(平成19年) 2,621
2008年(平成20年) 2,763
2009年(平成21年) 2,669
2010年(平成22年) 2,682
2011年(平成23年) 2,666
2012年(平成24年) 2,544
2013年(平成25年) 2,600
2014年(平成26年) 2,520
2015年(平成27年) 2,599
2016年(平成28年) 2,642
2017年(平成29年) 2,655
2018年(平成30年) 2,621

相邻车站

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东海旅客铁道
CA 东海道本线
特别快速、新快速、快速、区间快速、普通
大垣(CA77)-(南荒尾信号场日语南荒尾信号場)-垂井(CA78)关原(CA79)

参见

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参考资料

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注释

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来源

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  1. ^ 1.0 1.1 駅构内の案内表记。これらはJR东海公式サイトの各駅の时刻表页面存档备份,存于互联网档案馆)で参照可能(駅掲示用时刻表のPDFが使われているため。2015年1月现在)。
  2. ^ 川岛令三、‘东海道ライン 全线・全駅・全配线 第5巻 名古屋駅 - 米原エリア’、pp.20-21, 讲谈社、2009年7月、ISBN 978-4062700153

外部链接

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