吉田直
外观
吉田直 | |
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日文假名 | よしだ すなお |
罗马拼音 | Yoshida Sunao |
出生 | 松本 直[まつもと すなお] 1969年10月24日 日本福冈县远贺郡芦屋町 |
逝世 | 2004年7月15日 | (34岁)
笔名 | 吉田 直 |
职业 | 小说家 |
创作时期 | 1997年 - 2004年 |
体裁 | 轻小说 |
代表作 | 《圣魔之血》 |
奖项 | Sneaker大赏(1997年) |
吉田直(日语:吉田 直,本名:松本 直,1969年10月24日—2004年7月15日),是日本福冈县远贺郡出身的已故轻小说作家。
生平
[编辑]1969年生于福冈县远贺郡芦屋町,当地和菓子店的长男。于鹿儿岛县鹿儿岛市喇沙中学校及高等学校毕业后,进入早稻田大学法学系。1997年,25岁那时“先天性蛋白质S缺乏症”(先天性プロテインS欠損症)[1]发作,在治疗并修读京都大学硕士课程期间,以《叛逆的诸神》得到第二届Sneaker大赏出道。[2]
此后一直在“如果受欢迎程度下降,马上腰斩”的严苛条件下,在双月刊《The Sneaker》连载小说《圣魔之血》。虽然受到条件限制,《圣魔之血》依然带给读者无限的魅力和感动。
2004年7月15日13时50分,仍因前述病症导致肺梗塞而离开人世[1],享年34岁。
作品
[编辑]- Genocide Angel 叛逆的诸神(ジェノサイド・エンジェル 叛逆の神々)
- FIGHTER
轶事
[编辑]身后
[编辑]- 猝逝时正值负责《热风海陆》的小说、世界观设定及监修工作,时任Broccoli社长木谷高明直奔医院,轻拭吉田的遗容,下定决心绝对要把这企划动画化。后来木谷离开Broccoli,经吉田双亲同意使用“ブシロード”做为创立公司名称[4],意味着要世间别忘了这部作品。[5]2013年企划重启,吉田直列为原作之一,并将版税一部分分给其遗族[6]。
- 2006年7月1日,由角川书店、GONZO、Broccoli协力,在吉田的故乡举行特别企划“作家吉田直归故里‘朴直展’”(作家 吉田直氏里帰り「スナオ展」),展出遗稿、遗物及作品刊载的插画原画等。[7][8]
- 2010年6月26日,由遗族寄赠作品和遗物汇集成“吉田直文库”,在吉田出身地福冈县芦屋町图书馆内公开。[2]
参考资料
[编辑]- ^ 1.0 1.1 “作家 吉田直氏里帰り。スナオ展”资料。疾病相关资讯可参照:
- ^ 2.0 2.1 吉田直さん:早世の作家、故郷に「文庫」. 每日新闻. 2010-06-27. (原始内容存档于2010-06-30).
- ^ 3.0 3.1 3.2 中国に小説家の故・吉田直氏の著作を寄贈. 我が遁走. 2009-09-20.
- ^ 木村誠. ブシロード製トレーディングカドゲーム:ヴァイスシュヴァルツ(2007~ 2010)PDF. 早稲田大学IT戦略研究所. 2011-03-31.
- ^ 『熱風海陸ブシロード』のキャストが発表! 企画再始動のキッカケは『ヴァンガード』のヒット【TGS2013】. 電撃オンライン. 2013-09-22.
- ^ @digitarou(小坂崇氣). BDの熱風海陸ブシロードはさらにエピローグが追加された完全版 .... Twitter. 2013-12-31. (原始内容存档于2016-03-10).
- ^ 作家、吉田 直 氏 里帰り スナオ展 (页面存档备份,存于互联网档案馆). トリニティ・ブラッド. 2006-06-26.
- ^ 夭折小说家吉田直故乡举办遗物展 (页面存档备份,存于互联网档案馆). 中漫网. 2006-07-07.
- ^ 作家・吉田直氏著作の寄贈式が北京で開催. チャイナネット. 2008-10-14.